作品 AC

正しくは鹿苑寺。
室町幕府3代将軍足利義満は西園寺家の別荘を譲り受け、1397年に完成した。
金閣は一層が白木で和様の寝殿造、二層は天竺様の武家造、三層は唐様の禅寺風仏間で、各層の建築様式が異なる。
1950年に放火で焼けたが、1955年に再建された。
平成6年、文化財として世界遺産に登録された。
本当に金色をしていた。

坂上田村麻呂が鹿狩りの殺生を戒められ、清水山の山中に仏殿を建てたのが寺のおこりで、810年に清水寺と号した。
現在の堂塔は1633年、徳川家光が再建した。
昔から「清水の舞台から飛び降りる」と勇気・決断の気持ちを表す。
音羽の滝の水は「万病に効く」名水。
とても大きく、舞台からの景色が綺麗だった。

徳川家康が上洛の宿舎とした二条館を、1626年、家光が増築して徳川将軍の京都屋敷とした。
ここは家康と秀頼の会議、後水尾天皇の行幸、1867年の大政奉還決定の場となり、明治には宮内省が二条離宮として管理したが、1939年に京都市が譲り受けた。
城は東西約520m、南北約400m。本丸にあった最初の天守は淀城に移動され、新たに5層の天守が建てられたが、その後の落雷と天明の大火(1788年)で類焼したままになっている。
少し迷いそうになった。
保元の乱で讃岐(香川県)白峯に流された崇徳天皇を祭る。
境内末社の精大名神は蹴鞠道の神様。
球技上達のご利益があるとされている。
球技に関する物が沢山あって楽しかった。

正しくは金光明四天王護国之寺。
前身は728年に創建された金鐘山寺といわれ、聖武天皇の詔で国分寺の制が定まると、大和の国分寺となり、さらに天皇の発願で造られる大仏を安置する寺として、7年にわたり、国費の5分の1を注いで大伽藍が造営された。
当時の堂塔は、中門の外の左右に高さ97mの七重塔がそびえ、南大門・中門・金堂・講堂が一直線上に並んでいた。七重塔は土壇が残っているだけ。
大仏が大きくてすごく印象に残った。
平城遷都のとき、藤原不比等が氏神(常陸国鹿島の神)を御蓋山(春日山の西峰)の山麓に祭ったのに始まり、興福寺とともに勢力を強めた。
朱塗りの社殿ほ、寺院建築の影響が見られる独特の春日造。
また一ノ鳥居は典型的な春日鳥居。
建物の色が綺麗だった。
参考文献
(株)教材研究所 関西の旅