作品 I

金閣寺
鹿苑寺(ろくおんじ)とも言います。
現在の寺域は義満の北御所にあたります。
義満の死後、義持はここを禅宗に改めたが、
金閣寺以外の主な建物は、その後の兵火で焼失しました。
現在の建物の多くは、幕府の後援で17世紀後半に建てられたものです。

銀閣寺
慈照寺は足利義政の造営した山荘東山殿が、死後寺に改められたものです。
銀閣は禅の影響を強く受けた東山文化を代表する建物で、
上は仏殿風、下は書院造になっています。

興福寺
藤原氏の氏寺、遷都とともに飛鳥から移りました。
鎌倉時代は廷暦寺と対立し、奈良法師(僧兵)は
「春日の神木」をかついで度々朝廷に強訴しました。

奈良公園
正式名は「奈良県立都市公園奈良公園」といいます。
緑の草地に池が光り、鹿が食べない馬酔木(あせび)
が茂っています。
★:奈良の鹿
春日大社のお使いで神鹿天とされ、「石子詰」
の悲話もあるように昔から厳しく保護されてきました。
奈良公園を中心に約千頭がいます。

清水寺
現在の堂塔は1633年、徳川家光が再建しました。
本堂から張り出す“清水の舞台”は釘を使わずに組まれた懸崖造。
高さは現代人は高く感じない13m。

北野天満宮
菅原道真と夫人・長男を祭ります。道真が死んだ後、都で災害が続きました。
朝廷はたたりを恐れて947年道真を祭ったといいます。
朝廷はたたりを恐れて
毎月、25日は天神さんの緑日、露店が並んでいます。

二条城
徳川家康が上洛の宿舎とした二条館を、1626年、
家光が増築して徳川将軍の京都屋敷としましたが、
家光が泊まって以後14代家茂が上洛するまで、将軍の入城はありませんでした。
家康と秀頼の会見、後水尾天皇の行幸、
1867年の大政奉還決定の場となり、明治には宮内省が
二条離宮として管理したが、1939年に京都市が譲り受けました。

東寺
平安京造営の際、羅城門の東西に設けられた官寺の一つで、
823年空海(巧法大師)が嵯峨天皇よりいただき、信号密教の道場としました。
創建時の建物は源平の争乱で荒廃したが、文覚上人が12世紀に復興しました。
応仁の乱にも聖地として破壊されませんでしたが、
15世紀末の土一揆で伽藍の大部を失いました。
現在の堂塔は江戸初期までの間に、当時の様式を継承して、再建されました。
参考文献
(株)教材研究所 関西の旅