作品F

正しくは「鹿苑寺」と言う。
金閣(舎利殿)は一層が白木で和様の寝殿造、二層は
天竺様の武家造、三層唐様の禅寺風仏間で、各層の建
築様式が異なる。禅宗に王朝文化の香りを添えた北山
文化を象徴する金閣であるが、その金箔は当初は最上
層だけに貼られていた。
★思ったよりも小さかったけど、
すごく輝いていてきれいだった。

坂上田村麻呂が鹿狩りの殺生を戒められ、清水山の山
中に仏殿を建てたのが寺のおこりで、810年に清水
寺と号した。南都興福寺の京都拠点になったため、平
安末期には僧兵に何度も焼かれた。
★仁王門が大きくてすごかった。
時間が無くて中まで行けなくて残念だった。

正しくは「金光明四天王護国之寺」という。
仏教が盛んになった天平時代の初め、平城京の東の大
寺、また諸国の国分寺を統制する天下総国分寺として
造営された当時最大の官寺。
★大仏がすごい大きくて、びっくりした!
鹿がたくさんいて怖かった;

全国に1万社もある天満宮・天神社の本社になってい
て、菅原道真と夫人・長男が祭られている。
道真は学問・文芸の神様とされ、合格祈願の受験生が
多い。
★学業のお守りを買った。

平安遷都1100年を記念して、平安京朝堂院の8分
の5の規模で建てられ、桓武天皇、のちに孝明天皇を
祭り、市の総社とした。
★時間が無くて中まで入れなかった。
赤い門が大きくてきれいだった。

徳川家康が上洛の宿舎とした二条館を、1626年に
家光が増築して徳川将軍の京都屋敷とした。
二の丸御殿は6棟の間が連なる大書院。廊下の一部は
「鶯張り」になっている。
本丸御殿は17世紀はじめ、桂宮家の御殿を移築したもの。
★「鶯張り」つくった人すごいと思う。
中にはたくさんの部屋があって広かった。

藤原氏の氏寺、遷都とともに飛鳥から移った。南都七
大寺の一つ。
五重塔は他の堂塔とともに何度も焼けたが、現在のも
のは1426年の再建。
★五重塔が大きかった。
ここにも鹿がたくさんいた。
参考文献(株)教材研究所 関西の旅